「ニイタカヤマノボレ一二〇八」という有名な電文がある。昭和16年12月2日に、山本五十六連合艦隊司令長官が坐乗する「長門」から、南雲忠一中将率いる機動部隊に対して発信された。新高山は現在の台湾の玉山のことで、大日本帝国下においては最高峰だった。1208は12月8日、つまり作戦決行日だった。大東亜戦争という惨劇は、ここから始まったのである。
佐世保市針尾中町に「針尾送信所」がある。「旧佐世保無線電信所(針尾送信所)施設」という名称で国の重要文化財に指定されている。また、日本遺産「鎮守府 横須賀・呉・佐世保・舞鶴 ~日本近代化の躍動を体感できるまち~」の構成文化財の一つでもある。
写真はハウステンボスで105mの高さを誇るドムトールンから撮影している。地図上で測ると3.6~3.9kmほど離れている。なのに、この大きさ。もう少し近くてよく見えるのは、新西海橋近くの西海の丘公園の展望台だ。ここには次のような説明板がある。
針尾送信所
前方に見える三本の塔は、一九二二年(大正一一年)旧海軍の手によって四年の歳月と一五五万円(現在の金額で約二五〇億円)の費用をかけ建設されたもので、高さが一三六m、塔の回りが三八m、間隔が三〇〇mあり、正三角形となっている。
太平洋戦争開戦の口火を切った極秘電「ニイタカヤマノボレ一二〇八」は、この送信所から送信されたと言われている。
長崎県県北振興局
なんとこの送信所は、我が国の歴史を左右した重大な局面に、文字どおり立っていたのだ。このことについて、市の広報紙「広報させぼ」平成22年2月号は、特集「針尾送信所」の中で次のように記している。
針尾送信所というと、太平洋戦争の開戦を告げる暗号「ニイタカヤマノボレ一二〇八」を発信したという話がよく伝えられていますが、これにはさまざまな説があります。防衛省防衛研究所によると、「まず瀬戸内海に停泊中の連合艦隊旗艦・長門が暗号文を打電。呉通信隊を経由し、船橋送信所が真珠湾攻撃の部隊へ発信した。同じ仕組みで針尾送信所が中国大陸や南太平洋の部隊へ発信したと考えられる」としていますが、針尾から送信したという確かな資料は残されていません。
結論とすれば「証拠不十分で真偽不明」ということなのだろう。少なくとも真珠湾攻撃を担当する機動部隊への発信には関わっていないようだ。
開戦命令について整理してみよう。昭和16年12月1日の御前会議において「帝国は米英蘭に対し開戦す」と決定した。これを受け翌2日、連合艦隊旗艦「長門」から呉通信隊、東京通信隊を経て、千葉の船橋送信所から艦船へ、愛知の依佐美送信所から潜水艦へ、「新高山登レ一二〇八」が発信されたとのことだ。
そうであっても、これだけの巨大な無線塔が国家の非常時に、何も関わっていないとは思えない。立地条件を考慮すれば、中国大陸に展開していた部隊へ発信されたという説には首肯できる。
ただし針尾送信所の意義は、日米開戦との関わりにあるのではない。大正11年竣工という現存最古の無線塔であり、特に当時注目されていた鉄筋コンクリート技術の粋を集めて建造されたことにある。
ちなみに、スウェーデンにある「ヴァールベリのグリメトン無線局」は、1924年(大正13)建設の鉄塔で世界遺産に登録されている。こちらは高さが127m。針尾といい勝負ではないか。
ネット地図で針尾送信所を見れば、正三角形に配置された無線塔と、これを囲む円周道路を確認することができる。そんな幾何学的な配置は、電波だけでなくスピリチュアルなパワーまで集めてくれそうな気もするが、どうだろうか。