百舌鳥・古市古墳群は仁徳天皇陵などの前方後円墳が有名だが、49基の構成資産のうち7基は円墳である。特に大きいのは大安寺山古墳と青山古墳で、ともに直径62m。大きいから世界遺産になったわけではない。もっと大きな円墳はたくさんある。
このブログでも「無用の長物から学ぶこと」の中で、直径105mという行田市埼玉の「丸墓山古墳」を紹介したことがある。本日は直径95mを測りながらも、無指定で案内表示さえない吉備最大の円墳を訪ねることとしよう。
岡山市北区平山に「小盛山古墳」がある。正確な墳形は造出付(つくりだしつき)円墳である。造出を含めた墳長は108mとなる。
近くに「造り山団地」という住宅地がある。「造り山」は古墳に由来する地名らしい。丸い墓だから丸墓山、小さく盛っているから小盛山、造った山だから造り山と、納得の分かりやすさだ。全国円墳ランキングでは、奈良市の富雄丸山古墳(直径109m)、丸墓山古墳に次いで、小盛山古墳が第3位を誇る。ただし茨城県大洗町の車塚古墳も直径約95mで、「全国で3番目の規模」だと町観光協会のホームページが説明している。墳丘の大きさは資料によりまちまちで、正確なランキングは不明だが、小盛山古墳が全国屈指の大型円墳であることに疑いはない。
築造年代は丸墓山古墳が6世紀前半なのに対して、富雄丸山古墳、小盛山古墳、車塚古墳は4世紀後半とかなり古いことが分かっている。百舌鳥・古市古墳群が4世紀後半から5世紀後半にかけて築かれているので、小盛山古墳は古墳大型化の先駆けの一つと位置付けることができるだろう。
古墳は土を盛って築かれるが、その土を採取した場所が周濠となる。周濠には「渡り土手」という通路あるいは堤防が付属していることがある。小盛山古墳の墳丘も渡り土手で周囲と結ばれている。この古墳と同じく傾斜地に造られた崇神天皇陵の行燈山古墳にも、似たような渡り土手があるという。
小盛山古墳から出土した埴輪には、専門用語で「川西編年2期」の特徴がみられるという。これは川西宏幸博士が全国から出土した円筒埴輪をその製作技法により5期に分類した研究で、古墳の築造年代を明確にした労作である。
築造年代が明らかで全国有数の規模を誇る円墳、小盛山古墳。中央とのつながりや渡来人との関係も想像できる。富雄丸山古墳の出土品は国重文、丸墓山古墳は国の特別史跡、車塚古墳も今年3月に国の史跡となった。小盛山古墳だけが無指定のままだ。
山本直純氏が底抜けに明るく叫んだ「大きいことはいいことだ」は高度成長期を象徴するキャッチコピーだが、今の私たちも大きさには価値があると信じている。東京スカイツリーでも奈良の大仏でも、見れば心が躍るものだ。この小盛山古墳が復元整備されたなら、その存在感で周囲を圧倒することだろう。
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