日本の中心はどこか。日本列島を円で囲った中心にあるのは渋川市だ。「日本のまんなか渋川へそ祭り」があるが、今年は延期だそうだ。日本まん真ん中センターがあるのは郡上市美並町だ。長く人口重心地の地位を保っていたが、現在の重心は別の場所らしい。「日本中央」と刻まれた石碑が青森県上北郡東北町にあるが、これはまったくの謎だ。
渋川市のように中心を「へそ」と呼ぶのは西日本でも同じで、日本へそ公園があり日本へそ公園駅という最寄り駅もある。さっそく行ってみよう。
西脇市上比延町(かみひえちょう)に「日本のへそ(経緯度交差点)」がある。駅から北へ歩き線路をくぐると古い石碑が見つかる。
「日本のへそ」などと少々調子に乗ったウケねらいかと誤解しそうだが、この石碑は由緒正しい。説明板を読んでみよう。
「日本のへそ」(経緯度交差点)
この地は東経一三五度、北緯三五度の経緯度交差点で、海抜六三米です。大正十年、建設省国土地理院の前身である陸軍参謀本部陸地測量部によって計測されたもので、標柱の文字は終戦時の首相で、時の呉鎮守司令長官鈴木貫太郎海軍大将の書です。東経一三五度は日本標準時を表わす子午線で日本の東西の中心であり、北緯三五度も日本国土が二五度から 四五度にわたるのをみますと正に南北の中心でもあります。
これを「日本のへそ」と愛称しています。
正面には「東経百三十五度北緯三十五度交叉點海抜六十三米標識」と刻まれ、右側面に「大正十二年十月 多可郡教育會建立 呉鎮守府司令長官海軍大将正四位勲一等功三級鈴木貫太郎書」、左側面に「爲學制頒布五十周年記念」とある。
当時の鈴木長官に自らを待ち受ける運命など分かろうはずがない。昭和二十年の終戦における鈴木首相の苦難を思えば、大正十年がいかに平和であったかを、この碑が語っているように感じられる。
東経135度は日本標準時子午線として有名で、「子午線のまち」兵庫県明石市がつとに知られている。これに対して西脇市は北緯35度も通過しており、数字のキリのよさでは明石市の上をいっている。明石市に代えて西脇市を地理教科書に記載するのが適当ではないか。
近年の技術の進歩は、日本の測地系と世界標準の測地系との間にズレを生じさせてしまった。「日本のへそ」を世界測地系で測り直すと、437.6m離れた場所だと判明した。いずれにしても西脇市上比延町である。
先に紹介した「大正のへそ」に対して、こちらは「平成のへそ」という。
平成の華々しい幕開けを告げた「ふるさと創生事業」で、西脇市は「日本のへそです大作戦」を展開した。GPSでより正確に測量し「平成のへそ」を特定したのである。説明板を読んでみよう。
日本のへそモニュメント
このモニュメントの中心は、人工衛星を使ったGPS測量によ る東経135度、北緯35度の交差点(「平成のへそ」と呼んでいます。)で、国土地理院の協力を得て1990年3月に測量されたものです。モニュメントのコンセプトデザインは淡路の日仏友好のモニュメントと同じフランス人建築家パトリック・ベルジェ氏によるものです。
これはかなり貴重だ。パリの巨大ショッピングモール「フォーラム・デ・アール」の巨大天蓋「ラ・カノペ(木々の梢)」は18000枚のガラスの「葉」で作られている。これを設計したのがパトリック・ベルジェである。巨匠が西脇市に残した作品はたった4本の尖塔だが、不思議な空間に仕上がっている。
北緯35度は島根県江津市から日本に入り、千葉県南房総市で太平洋に抜けている。通過する地点は無限にあるのだが、所々に表示があるのでそれと知ることができる。
新見市高尾に「北緯35度線通過地点」がある。
モニュメントがなければ何も気付かないし、あっても「へえ、そう」と思うだけかもしれない。だが、北緯35度を日本地図で確認すると、列島を半分に折りたたむのにちょうどよい線だと分かる。ちなみに米国テネシー州の南の州境は直線なのだが、これも北緯35度である。我が国と米国は太平洋を挟んだ隣国なのであり、両国を結ぶ北緯35度は日米友好の象徴とも言えるだろう。