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現代の“道鏡”「小室圭さん」が潰した「女性天皇」「女性宮家」というスキャンダラスな見出しの記事が『週刊新潮』7月1日号に掲載されているようだ。小室さんと道鏡双方に失礼であり、何よりも眞子内親王殿下に対して不敬であろう。一刻の猶予もない皇位継承問題にまったく益さないばかりか、議論を混乱させるばかりではないのか。
皇位に関してかくも軽々しく語るのは、鼎の軽重を問う行為であり、我が国のアイデンティティを崩壊させかねない忌々しき事態である。旧宮家出身の評論家が性別や血筋を重視する主張をしているが、皇位に必要なのはいったい何なのだろうか。
性別が問題にならないことは8人の女帝が証明していることだし、万世一系という血筋はそう信じているだけであり、DNA鑑定で証明できるものではない。帝王の位が脆いことは21世紀の共産革命で王制が倒されたネパールを思い出すだけで十分だ。徳を失った王室に心寄せる人民はいないのである。
現在の皇室に対する国民の敬慕の念は、上皇上皇后両陛下の並々ならぬ努力に対するものであり、性別やY染色体に対して頭を垂れているわけではない。やはり帝王の条件は人徳でなくてはならない。我が国に易姓革命があってはならない理由などどこにもない。
皇室をスキャンダラスに書き立てる週刊誌こそ現代の“道鏡”に思えるが、本日は本物の道鏡と敵対した忠臣を採り上げることとしよう。
備前市吉永町高田に「和気清麻呂公屋敷跡」と刻まれた石碑がある。揮毫は長野士郎岡山県知事である。開発の大好きな知事で、吉備高原都市、瀬戸大橋、岡山空港、今はなき倉敷チボリ公園、そして根強い反対のあった苫田ダムなどが、その業績として挙げられよう。
八塔寺ダム公園の北側にあり、緑豊かであるがいかにも開発造成された感じの場所である。ダムと清麻呂はイメージとして違和感があるが、どういうことだろうか。副碑を読んでみよう。
国政護持の大忠臣として古来崇慕されてやまない和気清麻呂公こそわが郷土が生んだ不世出の偉人でありここ八塔寺山麓を洗う金剛川流域八塔寺川沿いの御所ヶ平は和気公の御屋敷跡の一つと伝えられ貴重な史蹟として折ある毎に探訪懐古の情を留めて参りました。
さて国土開発治水の名分のもと金剛川総合開発事業八塔寺川ダムが建設されることになり折角の遺蹟も水没のやむなきに至りました。痛恨を禁じ得ませんがたとえ水没の憂き目を見るとも和気公の霊威永劫に亡びず依ってこの地に記念碑を建てその顕彰につとめるものであります。
以上事の経緯を誌して後世に永く伝えるものであります。
京都護王神社前宮司 神戸湊川神社権宮司 酒井利行 文撰
国造会本部長 万波章太郎 謹書
昭和六十二年四月吉日
ここは「御所ヶ平(ごしょがなる)」と呼ばれ、八塔寺川沿いに開けた細長い平地であった。今はダム湖に沈む地に和気公の屋敷跡があったという。苫田ダムでは奥津町役場が水没している。
しかし、それにしても今の和気町藤野を本拠とする和気氏が、なぜこのような遠い山間部に屋敷を構えたのだろうか。岡山文庫190仙田実『和気清麻呂』には、次のように紹介されている。
和気清麻呂公屋敷跡
吉永町高田南谷字御所ヶ平
江戸時代の地誌に「和気清麻呂屋敷跡」「和気清麻呂廃邸の基址」と見える。御所ヶ平は現在八塔寺川ダム湖の堰堤のすぐ上手で湖底の場所である。石の碑が湖東に建てられた。
南谷は古代には藤野郷の北端部であった。同郷の本拠は藤野にあり、その出先がここにあったことは十分考えられる。これが基址・屋敷跡伝承の基になったのであろう。
なるほど、清麻呂公がここでのんびり暮らしていたわけではなく、和気氏の影響力が強い藤野郷の出先機関があったのだ。確かなことは分からないが、少しのつながりでも清麻呂公にあやかりたい思いが伝わってくる。
これも清麻呂公の人徳だ。清廉潔白で理非曲直を明らかにできる勇剛な人物だったのだろう。清麻呂が道鏡の皇位継承を阻止しようとした理由とは何か。宇佐神託を確かめてみよう。『続日本紀』巻第三十神護景雲三年九月二十五日条より
我が国家開闢より以来(このかた)、君臣定りぬ。臣を以て君と為すること未だ之れ有らず。天之日嗣(あまつひつぎ)は必ず皇緒を立てよ。無道之人宜(よろし)く早く掃除すべし。
当時は称徳女帝だから性別は問題ではない。「皇緒を立てよ」とは血統重視である。そして無道の人を排除するとは人徳重視である。道鏡を批判することは、即ち「無道の人を寵愛する貴女もどうなんでしょうね」という天皇批判でもある。
もちろん血統は現代でも大きな影響力を持つ。血統に依らない民主的な政治を実現するための選挙でも世襲議員はたくさん誕生しているし、人民共和国の北朝鮮で血統は疑うべからざる最高規範である。売り家と唐様で書く三代目とならなければ、血統は地位や権力の安定的な継承には大いに役立つ。
清麻呂も社会の安定を重視したに違いない。皇緒が絶えてしまったわけではないのだから、当然皇位継承者は皇緒とすべきだ。ただ、それ以上に政治に欠かせないのは人徳である。徳なくして世は治まらないとする徳治主義の立場から正論を述べたのである。
道鏡事件の教訓から学べば、皇位継承問題を「現代の“道鏡”」などと面白がっている場合ではない。実質的に皇位継承は悠仁さまお一人の問題であり、その責任を将来のご結婚相手も担わねばならないのである。そのような非人道的なプレッシャーを放置するよりも、愛子さまも含めたありとあらゆる可能性を追求し、安定的な皇位継承の環境を構築すべきだろう。もちろん血統は欠かせないが、男系を絶対条件とするドグマから解放されなくてはならない。雅子さまが皇后陛下として敬慕されているように、一般人男性にも皇配にふさわしい方はいるはずだ。ただ、その方をマスコミが寄ってたかって潰しにかからないことを願うのみである。
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