エア・チェックが死語になって久しい。かつてはFMラジオの番組プログラムで流れる曲を調べ、待ちに待ってラジカセの録音ボタンを押したものである。DJの声と曲の始まる一瞬の隙を逃してはならない。そうしてできたオリジナルテープはまさにお宝であった。ラジオを必死になって録音すること、これがエア・チェックなのだ。
エア・チェックがいつの日か意味不明になるのと同様に、江戸時代にすでに訳が分からなくなった名称があるという。「ヘボソ」とはいったい何だろうか。
神戸市東灘区岡本一丁目に「ヘボソ塚」がある。石碑には「扁保曽塚址」と刻まれているという。
見た目には単なる石碑で、何が何だか分からない。説明板を読んでみよう。
このあたりに古墳時代前期の西北西むきの前方後円墳があった。明治28年の発掘などで勾玉、管玉、石釧のほか六面の銅鏡が後円部竪穴石室から出土しており東京国立博物館に所蔵されている。古く、全長63.35mで後円部の直径32.2mで高さ約3.62mと記録されている。ヘボソという名は16世紀に初めて現れるが、その意味は不明である。古い里歌に「岡本のオサパに立てるヘボソ塚布織る人は岡本にあり」というのがあるが、江戸時代の摂津名所図会にはすでにその歌の意味はわからないと記されている。
東灘区役所
かつてここにけっこう大きな前方後円墳があったようだが、今では全くうかがい知ることができない。石碑と意味不明の俚謡が残るだけとなった。これは何かを示唆した暗号に違いない、とミステリー風に謎解きしようとする人もいない。東灘区役所『東灘歴史散歩』の「ヘボソ塚」の項には、次のようにも記されている。
旧正月二日にこの塚のあたりでは、織姫が布織る音がきこえるとか、この塚の松を伐る者には祟りがあるとか伝え、また在原業平の墓だともいう。
説明板で紹介されている俚謡に「オサパ」とあるが、『東灘歴史散歩』では「オサバ」である。『摂津名所図会』では「袁佐婆」とあるから「オサバ」が正しいのだろう。それにしても奇妙な話ばかりが登場する。松を伐採した者に祟りはあったのだろうか。
開発によって消滅した古墳は各地にある。ヘボソ塚もその一つではあるが、謎の歌を残して私たちを楽しませてくれる。ヘボソ塚に葬られた貴人も、自分の墓で歌が作られ、歌の意味が不明と知ったらびっくりするだろう。これだから死後の世界と死語の世界は分からない。