ロシアのウクライナ侵攻により、ウクライナ出身の音楽家によるチャリティコンサートが各地で開かれている。いっぽう分が悪いのはロシア出身者で、著名ソプラノ歌手の台湾コンサートが中止になるなど、活動の場が狭められている。JR恵比寿駅では「不快だ」との声を受け、ロシア語案内表示が覆い隠されたこともある。まさに、坊主憎けりゃ袈裟まで憎い、の過剰反応だろう。
本ブログでは、佐々木憎けりゃ笹まで憎いと、笹をむしり取った老母を紹介したことがある。親切に道案内をした男を殺したのだから、母親が佐々木を憎むのは当然だ。恨まれながらも先駆けの功名を得た佐々木盛綱は、謡曲『藤戸』で次のように登場する。
春の湊の行く末や春の湊の行く末や藤戸の渡りなるらん
これは佐々木の三郎盛綱にて候。さても今度藤戸の先陣を仕りし御恩賞に児島を賜はつて候。今日は日もよく候程に唯今入部仕り候。
児島を所領として与えられたのである。
玉野市八浜町波知と山田の境に「砂山城跡」がある。
南北に細長い山で頂部の曲輪も細長い。南端には峠越えの道があり、堀切のように窪んでいる。北端は県道405号山田槌ヶ原線の戸立峠である。城跡からは山田地区が一望できた。金甲山南麓を東西に横断するルートを掌握する重要な砦であろう。『吉備温故秘録』巻之三十九城趾下児島郡「砂山城」には、次のように記されている。
砂山城 波知村の前。
佐々木盛綱の堡といひ伝ふ。
おそらく盛綱が築いたのではなく、戦国時代の城だろう。児島では加地氏、飽浦氏、田井氏など盛綱の子孫と称する武士が活動していたから、その関連伝承なのかもしれない。佐々木憎けりゃとはいえ、盛綱伝説にまでケチをつけるつもりはない。なんといっても、平家物語のヒーローなのだから。
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