根室市にある資料館で北緯50度にあった日露国境標石を見たことがある。日本側は菊の御紋、ロシア側は双頭の鷲がレリーフされた稀有な逸品である。今では陸上の国境がないから、この種のモニュメントはない。
国内の旧国なら境界の痕跡を今も見ることができる。本日は三つの国の境が接する三国国境を訪ねる旅に出かけよう。
兵庫県佐用郡佐用町大日山(おおびやま)、岡山県備前市吉永町加賀美(かがみ)、美作市白水(しらみず)の境に「播備作国境」がある。「三国分岐石組ドーム」が築かれている。
かつては播磨国佐用郡大日山村、備前国和気郡八塔寺村、美作国英田郡白水村の境だった。大日山村は三日月藩領、八塔寺村は岡山藩領、白水村は龍野藩預地である。
三方に伸びる尾根に沿って境界があり、これに沿った山道は歩きやすい。北向きの上掲写真で石組ドーム右側、縦方向の細道が播磨西端の国境である。ここから向こうへ進めば、大日山地内の向坂(むこうざか)という集落に行くことができる。蝉の鳴き声ばかりが響く人里離れた国境であった。
岡山県加賀郡吉備中央町溝部(みぞべ)、真庭市栗原(くりはら)、高梁市有漢町上有漢(かみうかん)の境に「三飛(みとび)峠」に「両備作国境」がある。境界を示す標柱があり、左側には「加茂川町恩木(おんぎ)」、正面には「落合町栗原」、右側には「有漢町川関(かわぜき)」と刻まれている。正確な境界は、南向きの上掲写真の少し奥に位置する。
かつては備前国津高郡溝部村、美作国真島郡栗原村、備中国上房郡川関村の境だった。道は左側へ進めば備前国、手前に戻れば美作国、右側へ進めば備中国に入る。溝部村は岡山藩領、栗原村は龍野藩領、川関村は伊勢亀山藩領である。写真では右奥から手前へと続く道は、かつて備中と美作を結び、今は県道332号栗原有漢線となっている。私は左側の恩木ダム方面から来た。
広島県庄原市東城町小奴可(おぬか)、岡山県新見市神郷油野(ゆの)、鳥取県日野郡日南町豊栄(とよさかえ)の境に三国山があり、その山頂は「両備伯国境」であった。
山名標識には標高が「1126メートル」と記されているが、地理院地図には1129と記されている。私は岡山県側から登った。ほとんど眺望が利かないので快適な山行とはならないが、頂上近くでは鳥取岡山県境つまり伯備国境となった尾根筋を進むことができる。
かつては備後国奴可郡小奴可村、備中国哲多郡油野村、伯耆国日野郡大坂村の境だった。小奴可村は広島藩領、油野村は備中松山藩領、大坂村は鳥取藩領である。
以上3か所を訪ねたが、国境に沿ったトレッキングコース、国境を越える県道、人里と隔絶した山頂であった。国境はさまざまな態様を示す。世界の国境もまた然り。気軽に通過できる国境もあれば、壁が築かれている国境もある。マージナルな場所には、どこか特別感がある。
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