本州から四国へと向かう主要ルートの一つ国道30号は、岡山市中心部の大雲寺交差点を起点として、児島湾干拓地を通過して玉野市へ入り、宇野港から瀬戸内海を渡って高松市を終点とする。車で走ることの出来ない、いわゆる海上国道である。
この一見奇妙なルート設定は現代の産物ではない。江戸時代にも歩くことのできない海上街道があった。
岡山県都窪郡早島町早島に「金毘羅燈籠」がある。
松尾坂の大きな道路から少し路地裏に入った場所にあるから、なぜここに?と感じるが、北から西へのこの曲がり角こそ主要道「金毘羅往来」なのである。燈籠脇の道標には「左 きひつ宮 をかやま」「右 ゆかさん こんひら」と刻まれている。
金毘羅往来の上りは、ここ早島から二手に分かれ、妹尾から岡山へ向かうルートの他に、庭瀬から吉備津宮へ向かうルートもあった。写真には写っていないが、左手に曲がる道が「きひつ宮」方面である。
写真では手前が下りで、その目的地は両参りで知られる瑜伽大権現と金毘羅大権現である。説明板を読んでみよう。
金毘羅往来の燈籠と道標
金毘羅宮は今でも海の神として多くの人々の信仰を集めているが、この金毘羅信仰が全国的に流行するのは、江戸時代後期の文化・文政期のことである。そして最盛期には大坂から金毘羅詣で専用の船が仕立てられるなど多くの信者でにぎわった。また由伽山も金毘羅との両参りで多くの参詣者を集め、この由伽・金毘羅へ至る道は金毘羅往来と呼ばれた。
このあたりで金毘羅往来と呼ばれた道は、岡山城下から吉備津・庭瀬を経て早島・天城・由伽へと続く道と、同じく岡山城下から米倉・妹尾を経て児島・天城・由伽へ向かう道の二つがあり、いずれも早島を経由していた。そして町内には参詣者のための宿や、由伽、金毘羅を示す道標、燈籠が数多く建てられ、旅人たちの便をはかっていた。また当時大坂で発行された「金毘羅道中絵図」や参詣案内の道中記などには、道筋の主要な町として早島の名が記載され、早島は交通の要衝地としてにぎわった。
早島から天城を通過して瑜伽大権現にお参りすれば、道標の「ゆかさん」に到達達成である。両参りがいいというから「こんひら」にも行こう。由加往来を下って児島田の口湊まで歩いたら、そこから先は瀬戸内海。讃岐丸亀湊までが海上街道となる。
かつては宇野高松間に宇高国道フェリーが運航され、「昼も夜中も19分ごと」という賑わいだった。瀬戸大橋の通行料金がべらぼうに高かったので、しばらくは安泰だったが、大橋の料金値下げの影響で2012年に運休となった。
調べているうちに驚いたのは、瀬戸大橋の瀬戸中央自動車道が、国道30号のバイパスに位置付けられていることだ。現代の金毘羅往来には橋が架けられているのだ。これなら地図の海上に引かれた幻の国道ではなく、正真正銘、海の上を走ることのできる海上国道である。踏破出来なかった金毘羅への道は、現代なら走破できる。