国王や皇帝の暗殺や自害は、歴史上珍しいことではない。中国史など、そのような話ばかり目につく。我が国でも、あってはならないことだが少しある。安康天皇と崇峻天皇が暗殺され、弘文天皇と安徳天皇が自害している。土御門上皇が自害したという伝説は「土御門上皇弑逆事件」で紹介した。
坂出市府中町に「柳田」がある。
線路脇に大正時代に建てられた碑が立つのみだが、鉄道写真としては美しい構図となる。その昔、ここで天皇暗殺という大逆無道の事件があったというのだ。聞いたことのない話だが、とりあえず文献で確認しよう。延享二年(1745)に原本が成立した『讃州府誌』は、崇徳上皇の崩御について、次のように伝えている。
院の御崩御に付ては記すだにも恐れ多き事どもなるが、本書原本の記す所に依れば長寛二年八月二十六日二条帝陰に讃の士人三木近安(保)なる者に命じ戕(しょう)ぜしむ。時に近安驄馬(そうば=青馬)に乗り紫手綱を取って鼓岡を襲ふ。院知り玉ひ急に之を避け路の大柳樹の穴に匿れ玉ふ。近安之を探し索め執て之を害し奉り遂に崩ず御年四十六。是に因って三木姓の者、驄馬紫衣の者、白峯に上るを得ずといふ。
長寛二年(1164)8月26日、二条天皇はひそかに、讃岐の武士・三木近安という者に命じて、崇徳上皇の暗殺を図った。近安は青い馬に乗り、紫の手綱を取って、仮御所のある鼓岡を襲撃した。上皇は逃げて大きな柳の木の穴に隠れた。近安は上皇を探し出して殺害し、上皇は46歳の生涯を終えた。このことによって、三木姓の者、青い馬に乗る者や紫色を身に着ける者は白峰山に登ってはならないということだ。
その殺害場所が「柳田」だという。ミステリーだ。線路沿いだから下山事件を思い起こすが、まったく関係ない。しかもこの伝説は、三木姓の者を排除する差別性を有する。何がしかの根拠があるのではなく、まったくのフィクションだろう。
二条天皇は、崇徳上皇の死後一年ほどで亡くなるので、その死は上皇の祟りと考えられた。なぜ祟られるのか。それは、上皇暗殺を命じた黒幕だからだ。そのように考えられ、フィクションの暗殺事件が創作されたのだろう。我が国では珍しい話である。
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