青森県田舎館村の田んぼアートは年々その迫力を増しているらしい。今年はヤマタノオロチ伝説と桃太郎が描かれている。新潟市西蒲区のわらアートは、武蔵野美大とコラボした芸術作品である。今年はライオン、ウシ、サイ、ワニ、ゴリラが制作された。
どちらの巨大アートも観光資源として地域おこしに一役買っている。本日紹介する巨大な砂絵も、観光客を呼び込むために最近できたのかと思ったら、そうではない。ナスカの地上絵には負けるが、日本最古にして最大の砂絵である。(諸説あります。)
観音寺市有明町に「銭形砂絵」がある。銭形平次でお馴染みの「寛永通宝」が浮かび上がっている。
確かに、これはアートだ。人工美と自然美が一体となった美しさは一見の価値がある。いったいどのようないわれがあるのだろうか、説明板を読んでみよう。
銭形のいわれ
寛永十年(一六三三年)時の将軍家光公から讃岐巡遣使を派遣するとの知らせを受けて丸亀藩主生駒高俊公が領内巡視の際このことを聞いた地元の古老たちがなにか領主歓迎のためにと有明浜に銭形の砂絵を一夜のうちに作りあげたと伝えられています。
この山頂から眺めると円く見えますが実際には東西一二二メートル南北九〇メートルの楕円形となっています。以来砂上の一大芸術として長く保存されています。
この銭形を見た人は健康で長生きできて金に不自由しなくなると言われています。
観音寺市
まず注目したいのは、銭形が楕円形であることだ。ネット地図の航空写真で見るとよく分かる。道路標示の「止まれ」の文字が縦長に書かれるのと同じで、斜めから見るのでバランスがよい。トリックアートの一種とも言えよう。こんな面白いものを誰がいつ設計したのか。
寛永十年に高松藩主・生駒高俊の領内巡視の際に造られたとされるが、「寛永通宝」の鋳造が寛永十三年に始まることから、通説は疑問視されている。真相はというと、丸亀領主・京極高朗の巡視の時(文化十一年)だとか、京極朗徹による台場築造の視察(安政年間)に際してだとか、諸説紛々とした状況である。どちらにしろ、殿様を楽しませるという目的だったことには変わりない。
しかし銭形は、幕末までに編まれた名所図会で紹介されていない。とすれば、明治以降の築造ということになろう。殿様向けではなく、やはり一般庶民向けの観光資源として造られたのではなかろうか。
太古の遺跡ではあるまいし、何らかの手掛かりがありそうなものだが、確かな情報は何もない。世界一の地上絵も日本一の砂絵も謎だらけだ。近くの観音寺チャンスセンターという宝くじ売場では、平成25年5月17日抽選のロト7で1等8億円が2本出たそうだ。説明板が記す「金に不自由しなくなる」のは、本当なのだろうか。謎である。