惨殺された侍女が化けて出たり祟りをなしたりする話がある。もっとも知られるのは皿屋敷伝説で、このブログでも「怪談・播州皿屋敷」「摂州皿屋敷」「米子皿屋敷の舞台を訪ねて」「ひとぉつ、ふたぁつ、みぃっつ」で紹介した。
本日の話題には皿数えは登場しないが、やはり侍女が殺されている。こんな話に「さもありなん」というリアリティが感じられたのは、侍女いじめがありがちなことだったからか。
津山市宮脇町の徳守神社境内に「お花宮」が鎮座する。社には「善神社」と表示されいる。
参道には屋根があり、雨の日や陽射しの強い日でも参詣しやすい。人に優しいこの小祠にはどのような由来があるのだろうか。説明板を読んでみよう。
お花宮の由来
お花宮は、森家時代津山の家老原十兵衛の侍女お花を祀れる神社である。
原家は禄高三千石を領し津山城廓京町御門の内に住居していた家老で、お花は礼儀作法見習の為、勝間田の実家を出て原家に出仕したが、容貌優美の為、原十兵衛の寵愛を受けた。
或日愛児の子守をして居た処、ふとした過ちから其の愛児が縁より落ち横死した。原氏の夫人大いに怒り花女の不注意を責め愛児の仇なりとして、お花を惨殺した。
其の花女の責め方が余りにも残虐であり苛酷であったが為、死後しば/\祟りを為し原家は鳴動異変が絶えなかったので、其の怨霊を慰めんとして邸内の一隅に祠を建て、お花善神社としてお祀したのが始まりである。
元禄十年森家国除せられ原家も退去したが同情者信徒等御祭を絕さず香華が続いた。
慶応元年八月二十八日怨石と唱える踏石と共に大円寺に移し更に、明治初年神仏分離の命により徳守神社に移した。
今は逆境にある婦人の守り神として遠近よりの参拝者が絶えない。
昭和五十五年 五月吉日
徳守神社々務所
深い恨みを抱きつつ死んだ者は守護霊としてのパワーも大きいという。菅原道真も失意のうちに亡くなり怨霊となり、その霊力は受験生にとって頼みの綱として全国から篤く信仰されている。
人生において成功した者にも強いパワーがあるはずだが、そのおこぼれにあずかろうというのでなく、恨みのパワーに頼るところが興味深い。古代以来の御霊信仰は江戸時代に至って、不遇な庶民をも神として祀るようになった。
特に「逆境にある婦人の守り神」とは心強い。逆境にある時の気持ちは幸せな人には分からない。成功者に相談したなら「君の努力が足りんのだよ」とか「気にしすぎだ」と言われるのがオチだ。理不尽な目に遭った怨霊だからこそ分かってもらえるつらい思いもあるはずだ。
ああ分かる、分かる。そりゃムチャだね。さぞかし、つらいことだろう。それで私を訪ねてきてくれたんだね。うれしいよ。よし、分かった。あんた、助けてあげるよ!
コメント
コメントフィードを購読すればディスカッションを追いかけることができます。