今まで気が付かなったが「因幡の白うさぎ」は文学として大変優れているという。成功するかに見えて最後に失敗する知恵者、いじめる輩と救いの手を伸べる優しき者、物語の背景にある恋争い、そして神の予言。『古事記』原文の文字数は四百字詰め原稿用紙1枚分ほどだが、人の心を動かす要素が凝縮されているのだ。本日はその舞台を訪ねることにしよう。
鳥取市白兎の白兎海岸に「大国主命と因幡の白うさぎ」の像がある。優しいオオクニヌシが泣く兎に声を掛けている。
あまりにも有名な日本神話、因幡の白うさぎ。古事記原文で読んだ人は少ないだろう。とはいえ、せめて読み下し文でないと理解できない。岩波文庫『古事記』上巻「稻羽の素兎の段」を読もう。
故(かれ)此の大国主神(おほくにぬしのかみ)の兄弟(みあにおと)、八十神(やそかみ)坐(ま)しき。然れども皆国は大国主神に避(さ)りまつりき。避りまつりし所以(ゆゑ)は、其の八十神各(おのも/\)、稻羽(いなば)の八上比売(やかみひめ)を婚(よば)はむの心有りて共に稻羽に行きける時に、大穴牟遅神(おほなむちのかみ)に帒(ふくろ)を負ほせ、従者(ともびと)と為(し)て、率(ゐ)て往(ゆ)きき。是(ここ)に気多之前(けたのさき)に到りける時に、裸(あかはだ)なる菟(うさぎ)伏せり。八十神其の菟に謂ひけらく、汝(いまし)為(せ)むは、此の海塩(うしほ)を浴(あ)み、風の吹くに当りて、高山の尾上(をのへ)に伏してよと云ふ。故其の菟、八十神の教ふる従(まま)にして伏しき。爾(ここ)に其の塩の乾く随(まに/\)、其の身の皮悉(こと/″\)に風に吹き拆(さ)かえし故(から)に、痛苦(いた)みて泣き伏せれば、最後(いやはて)に来ませる大穴牟遅神、其の菟を見て、何由(なぞ)も汝(いまし)泣き伏せると言(と)ひたまふに、菟答言(まを)さく、僕(あれ)淤岐島(おきのしま)に在りて、此の地(くに)に度(わた)らまく欲(ほ)りつれども、度らむ因(よし)無かりし故(ゆゑ)に、海のわにを欺(あざむ)きて言ひけらく、吾(あれ)と汝(いまし)と、族(ともがら)の多き小(すくな)きを競(くら)べてむ。故汝(いまし)は、其の族の在りの悉(こと/″\)率(ゐ)て来て、此の島より気多前(けたのさき)まで、皆列(な)み伏し度れ。吾其の上を蹈みて、走りつつ読み度らむ。是に吾(あ)が族と孰(いづ)れ多きといふことを知らむ。如此(かく)言ひしかば、欺(あざむ)かえて、列(な)み伏せりし時に、吾其の上を蹈みて、読み度り来て、今地(つち)に下りむとする時に、吾(あれ)汝(いまし)は我(われ)に欺(あざむ)かえつと言ひ竟(をは)れば、即ち最端(いやはし)に伏せるわに、我(あ)を捕へて、悉に我が衣服(きもの)を剥(は)ぎき。此に因りて泣き患(うれ)ひしかば、先だちて行でませる八十神の命(みこと)以ちて、海塩(うしほ)を浴(あ)みて風に当り伏せれと誨告(をし)へたまひき。故(かれ)教の如(ごと)為(せ)しかば、我が身悉に傷(そこな)はえつとまをす。是に大穴牟遅神、其の菟に教告(をし)へたまはく、今急(と)く此の水門(みなと)に往(ゆ)きて、水以(も)て汝(な)が身を洗ひて、即ち其の水門の蒲(かま)の黄(はな)を取りて、敷き散らして、其の上に輾轉(こいまろ)びてば、汝が身本の膚(はだ)の如(ごと)必ず差(い)えなむものぞとをしへたまひき。故(かれ)教(をしへ)の如(ごと)為(せ)しかば、其の身本の如くになりき。此(これ)稻羽(いなば)の素菟(しろうさぎ)といふ者也。今者(いま)に菟神(うさぎがみ)となも謂ふ。故其の菟、大穴牟遅神に白(まを)さく、此の八十神は、必ず八上比売を得たまはじ。帒(ふくろ)を負ひたまへれども、汝(な)が命(みこと)ぞ獲たまはむとまをしき。
あらすじを知っているだけに分かりやすい。セリフが生き生きと聞こえてくる。八十神と大国主命の対比が鮮やかだ。確かによくできた物語だと思う。ここ白兎海岸にはゆかりの地が多い。
同じく白兎地内に「淤岐ノ島」と「恋島」がある。
原文の「淤岐島」は島根県の隠岐だともこの島だとも、沖合いにある島という一般名詞だともいう。山陰海岸ジオパーク推進協議会が制作した説明板には、次のように記されている。
淤岐ノ島
淤岐ノ島は、約2,000万年前頃中新世の火山活動による火山灰や火山礫などが堆積してできた岩石(火砕岩)でできています。島は、東西に走る断層によってブロック状に分断されています。島の南北には波食棚が広がり、北側は「千畳敷」と呼ばれ、南側は飛び石状に連なっているため、「因幡の白うさぎ」に登場するワニの背になぞらえています。
ジオパークが素晴らしいのは、地学的な説明がしっかりしている点だ。地形や岩の形状が伝説を生み出すケースがよくある。その形を大地の変動で説明するのが地学で、物語で説明するのが伝説である。波食棚がワニの背になぞらえられたのなら、因幡の白うさぎも大地が生んだ物語なのだろうか。恋島から淤岐ノ島を見るとウサギがうずくまっているように見える。
ところで恋島は島ではなく石燈籠と小さな岩にしか見えないが、いったい何だろうか。ジオパーク推進協議会の説明板を読んでみよう。
恋島
砂浜に少しだけ顔を出した岩で、大国主命が八上姫を恋給うた場所といわれています。安政5年(1858)に地元の若い衆によって、一番高い神楽岩(かぐらいわ)の上に石灯籠が建てられました。
ウサギは予言を残していた。「帒を負ひたまへれども、汝が命ぞ獲たまはむ。」召使いのように扱われているけど、あなたこそ姫のハートを射止めるお方です。実際二人は結ばれ、ウサギの予言は的中する。石灯籠の立つ神楽岩が一番高いというから、かつての砂浜はもっと低かったのだろう。
国道9号を渡って有名な白兎神社に行ってみよう。
社殿の右側に「御手洗池(みたらしいけ)」がある。
御手洗を「みたらい」と読んだら地名や名字で、「みたらし」と読んだら団子か参拝前に手を清める手水(ちょうず)のことだ。「おてあらい」と読んだらトイレの上品な表現である。ここでは神社にゆかりの深い「みたらし」と読む。三たびジオパーク推進協議会の説明板を読んでみよう。
不増不減の池(御手洗池)
直径約30m、周囲約100m、深さ1.0mの淡水の小さな池ですが、大雨が降っても水位は上がらず、また、日照りが続いても水位がほとんど下がることがないと言われている不思議な池で、江戸時代から「不増不減の池」と呼ばれています。また、「鮫(わにざめ)に皮をはがされた兎が身を洗った池」と伝えられています。
ウサギはこの池で身を洗ったのだという。架空であるはずの寓話がリアリティを帯びてくる。このようにして人々は神話を楽しんだのだろう。近代になってからは物語だけでなく、唱歌として子供たちが歌うようになった。
白兎海岸に「田村乕藏先生碑」と刻まれた石碑がある。昭和40年に鳥取県音楽教育連盟が建てた。
乕は虎と同じで、「花咲爺」や「金太郎」で有名な作曲家、田村虎蔵のことである。先生については以前の記事「唱歌の父ここに生まるる」で詳しく紹介している。
この碑には作詞家、石原和三郎との名コンビによる「大黒さま」の冒頭が刻まれている。大黒天はもともとヒンドゥー教の出身で、日本ネイティブの大国主命とは別の神様だ。ところが袋を担いでいたりダイコクと読めたりすることから、両者は同一視されるようになり民衆に広く信仰されたらしい。
大黒さまは今、大黒天物産の金ピカ像に代表されるような好々爺のイメージが強い。八上姫と結ばれる心優しい青年なら、やはりオオクニヌシが相応しい。敵を薙ぎ倒して進む超絶ヒーローではなく、人の好さが真骨頂の素敵な神様だ。
先ほどの白兎神社にオオクニヌシはいらっしゃらない。ここに祀られているのは恋のキューピッド、ウサギ神なのだ。縁結びツアーと銘打ってオオクニヌシのおわす出雲大社に向えば、願いが叶うこと間違いなしだろう。