芸人とは落語家のことと心得ます。落語は笑いの芸術である。もはや伝説と化している爆笑王に桂枝雀がいる。先日、彼の『皿屋敷』を映像で楽しんだ。その所作といいテンポといい、観客をみるみる作品世界に引き込んでいく。元ネタはご存じの怪談だが、上手くパロディにして別世界を作っている。オチは考えオチである。
今日レポートするのは、落語ではなく元ネタの怪談にまつわる史跡である。皿屋敷伝説は各地で伝えられているが、とりわけ江戸の『番町皿屋敷』と姫路の『播州皿屋敷』の二つが有名だ。今回は播州姫路から報告しよう。
姫路市十二所前町の十二所神社の境内に「お菊神社」がある。御祭神は三菊大明神、菊姫命である。御婦人、水商売、陶器の守護神だという。
死後、神として祀られた悲劇の女性、お菊さんとはどのような人物なのか。怪談をご存知の方にも、改めて紹介することとしよう。まずは、神社を紹介する石碑に刻まれている文章である。
天下に冠する名城姫路城と共に著聞する物語を播刕皿屋敷とする。社伝によると戦塵渦巻く永正年間尼子十勇士寺本障子之介は戦禍を外に姫路城下に亡命す息女菊は美貌にて文武両道に秀で城主小寺則職に任へ寵愛尤も厚く病弱なる城主の平癒祈願に霊験顕著の十二所神社に日参す。当時重臣青山鉄山、町坪弾四郎等の逆臣が相謀り城主暗殺お家横領の密計せるを菊女に探知されたれば之が露見を虞れ逆臣等は小寺家の家宝赤絵の皿一枚を隠蔽し罪を菊女に転化し城内古井戸に屠る。哀れ菊女は永正二年旧三月齢二十一歳で永遠の花と散りたり。後年城主は忠烈菊女を三菊大明神と敬ひ祭祠されたば妙齢婦人の守護神として遠近より参詣するもの多し明治初年お菊神社を造営昭和二十年戦災にて灰燼と化し昭和三十五年再建するに至れり
古い言い回しだが、文意は理解できる。その近くに神社が作成した由緒の説明板がある。少し分かりやすくなっているようなので、読んでみよう。
播州皿屋敷「お菊物語」の菊女は、姫路二代目城主(当時姫路城は二層)小寺則職の奥女中として仕え、主君則職若くして病床に伏し、菊女病気平癒祈願のため、当十二所神社に参籠し、心願叶い則職全復す。
病気全快に事よせて、悪家老青山鉄山は町ノ坪弾四郎等一味と語り、天正二年(一五〇五年)増位山に観桜の宴を催し、則職に鳩毒を盛った酒を勧め、主家を横領せんとしたが、菊女の内通により衣笠靱負介等忠臣の知るところとなり、危く難をのがれ則職は、家島に拠り再起を計る。
主家を横領した鉄山は、小寺家の家宝「赤絵の皿」十枚に珍味を盛り、祝杯を上げた。皿の管理を命ぜられた菊女は、弾四郎の奸計により皿一枚をかくされ、皿改めの場に引き出され、日夜はげしい折檻を受け、古井戸に吊され、二十一才の妙令を一期に無惨な最后を遂げました。
菊女の霊は、主君則職を家島より導き、青山鉄山・町ノ坪弾四郎等、悪の一味を滅亡し本懐を遂げました。
小寺加賀守則職は菊女の忠節に感じ、神徳あつき十二所神社の境内に祠を建て、霊をまつりて、ねんごろに慰めたと云う。
二つの説明文をまとめてみよう。姫路城の二代目城主・小寺加賀守則職(のりもと)に、尼子十勇士の寺本生死之介の娘・お菊が仕えていた。悪家老・青山鉄山とその家来・町坪(ちょうのつぼ)弾四郎はお家乗っ取りを図ったが、お菊はそれを知ってしまう。「お菊を生かしてはおけぬ」そう考えた青山等一味は、お菊に管理させていた皿を一枚隠して罪をかぶせ、ついには古井戸に投げ込んで殺害した。その後、則職は一味を成敗して、お菊を神として祀ったという。
上記二つの引用文の異なる点は、衣笠靱負介(ゆきえのすけ)元信の活躍を描くかどうかである。怪談の名場面、「いちま~い、にま~い…」は出てこない。お菊は幽霊ではなくで、主家の滅亡を阻止した忠義の女なのである。だから、お菊神社にはこのような碑が建てられている。
「烈女お菊」とある。ここで描かれるお菊は、「忠烈」の女性、つまり、極めて忠義心の厚い女性というイメージである。
次に、烈女お菊が殺害されたという井戸を訪ねて、姫路城に向かった。その時の写真が…コレだ。ワンツースリー。
「何だコレ!?」「映っちゃった」どうも画像が変だ。何かあるのか。気を取り直して話を進めよう。
姫路市本町の姫路城の上山里丸という曲輪(くるわ)に「お菊井戸」がある。標柱には「お菊井」と刻まれていたと記憶しているが、写真では見えない。
近くにある説明板には次のように記されていた。
永正年間、姫路城主小寺則職(のりもと)の執権青山鉄山が主家横領の陰謀を企てているのを忠臣衣笠元信の妾(いいなづけ)で、青山家に住込んでいたお菊が探知し、元信に知らせて城主の難を救いました。
しかし、鉄山は則職を逐(お)い、一時主家を横領しました。一味を招いて饗宴の際、お菊は、自分に懸想(けそう)した町坪弾四郎によって家宝の皿を一枚隠され、責め殺されました。
その後、その死骸を沈めたこの井戸から毎夜、お菊の皿を数える声が聞こえたそうです。やがて、元信らが鉄山一味を滅し、お菊は、於菊大明神として十二所神社に祀られました。この伝説は、類似のものが東京番町、尼崎等にも残っています。
大筋は神社の説明と同じだが、弾四郎がお菊に言い寄ったとか、殺されたお菊が恨めしい声で皿を数えるとか、話が面白くなっている。伝説は語られるうちに尾鰭がつき、人々が求めるストーリーに仕立て上げられるのだろう。
説明文中の「尼崎」の皿屋敷伝説については、以前にレポートしたことがある。尼崎では元禄の頃の出来事と語られる。各地に分布する皿屋敷伝説の時代設定はさまざまだが、多くは江戸時代だ。
それに対して、今日紹介している播州皿屋敷は永正二年(1505)の出来事とされている。(お菊神社の説明板の天正二年は「永正」の誤りである。)おそらく、播州皿屋敷はこの種の伝説の源流なのだろう。
皿屋敷伝説には、陰謀、忠義、いじめ、恨みなど、ドラマになる要素が詰め込まれている。聞けば誰かに語りたくなる内容である。これが伝説の内包する力なのだ。
ドロドロした情念の渦巻く皿屋敷伝説をバージョンアップさせて、見事に笑いの世界に転換したのが、冒頭の落語『皿屋敷』である。冒頭では考えオチと言ったが、「なんまいだー」と念仏を唱えると「九枚でございます」と答える駄洒落オチもあるそうだ。