先月19日、米国の水上スキーのプロたち80名が滑走しながら人間ピラミッドを作り、ギネス世界記録に認定されることとなった。滑走しながら三段のピラミッドがいくつも出来上がっていくのを動画で見ると、物好きな…との思いは消え去り、感動すら覚える。
世の中にはいろんな一番があるが、何でもいい、とにかく世界一は地球人のあこがれであり、日本一は私たちのあこがれである。
府中市府中町に「金毘羅神社石燈籠」がある。「日本一石燈籠」とのことだ。市指定の重要有形文化財(建造物)である。
屋根のように巨大な笠、キュッと引き締まったくびれのある柱。見事なフォルムである。石碑の側面に、その大きさと由来が刻まれているので読んでみよう。
地上二十九尺四寸
笠石の面積四畳半余
今を去る凡そ百五十年前即ち文化七庚午年三浦勘右衛門氏の創始福山城主阿部伊勢守の家老代理をつとめていた当所林新五郎氏が発起して金刀比羅宮を建立し次いで日本一の大石燈籠を思いたち天保の初めより着工前後八ヶ年の日子と近郷二十ヶ町村の人夫二万余人の寄進と銀五貫匁の浄財とにより天保十二年十二月漸く之を完成した
府中市教育委員会の説明板によると、高さは838cm、笠石の一片262cmだそうだ。確かに巨大で日本一にふさわしい。完成までに長い歳月と多額の費用がかかったが、単なる信仰心だけでなく、「めざせ日本一」がモチベーションの維持に役立ったと考えて間違いなかろう。
ところが、「日本一」と称する石燈籠は他にもある。
岡山市北区一宮の吉備津彦神社境内に「石造大燈籠」がある。市指定の有形文化財(歴史資料)である。古い説明板に「日本一大燈籠」とある。
地元の「郷土史家黒住秀雄顕彰会」が制作した説明板には、次のように記されている。
この大燈籠は、六段造り、高さは十一米、笠石は八畳敷の広さがあり、まさに日本一といわれている。
文政十三年と安政四年の二度にわたり、地元有志が発起し、天下泰平、国家安全、万民豊楽、五穀成就などを念願して、備前一円、浅口郡を中心に広い地域で寄進を募り、奉納されたものである。
石に彫られた寄付者名は、実に千六百七十余名で、五千六百七十六両(約一億三千余万円相当)の浄財が寄せられている。
これは「金毘羅神社石燈籠」を上回る大きさだ。完成したのは安政六年(1859)で、こちらも長い歳月と多額の費用がかかっている。「金毘羅に負けるな」を合言葉にして頑張ったのだろうか。
ダンス、まんが、俳句にフラガールズまで、高校生が日本一を競い合う舞台は「甲子園」と呼ばれている。ホンモノの甲子園では、大阪桐蔭が日本一の栄光をつかんだが、金足農業を応援する秋田の人々の熱意も日本一だった。日本一は、やる気の源なのだ。