有名な陰陽師安倍晴明のお母さんはキツネである。んなわけねえだろとツッコみたくなるところを上手に物語化したのが「信太妻」である。母ちゃんいなかったら、さみしいよなぁ。小さい頃に本で読み、歌の書かれた障子の挿絵は今も思い出すことができる。「恋しくばたづね来て見よ和泉なる信太の森のうらみ葛の葉」訪ね来てみよというから本当に行った。そのレポートが「恋しくばたずねきてみよ」である。
本日も異類婚姻譚の舞台を紹介しよう。
岡山県勝田郡奈義町高円に「蛇淵(じゃぶち)の瀧」がある。
那岐山登山に向かう人が近くを通り、決して秘境というほどではない。道が開けているからそう思えるのであって、かつてはまた違った雰囲気があったのだろう。江戸時代の地誌『東作誌』三巻「勝北郡東豊田庄高円村」には、次のように紹介されている。
蛇淵
諾山の内麓近き渓川の中にあり淵の東西岩墻屏を立るか如く深樹枝を戦はしめ蘙薈地を埋め青苔滑にして蓊鬱としてほのぐらく飛瀧纔に二間許上より落つ淵の幅又二間許巨岩大石峙て彼を伝に是を陟りて淵に至れは水際の石平にして座するに定る深潭藍を灑き出すか如く其深きこと知へからす(水北より落て南に流る)相伝ふ古へ大蛇住て人を悩す故に蛇淵の名あり菩提寺の観覚得業上人是を禁錮すと此淵の瀧を雄瀧と称し(或は云ふ深さ四十尋と)下の瀧を雌瀧と称す下の淵は水勢形様上の淵の半にも及かたし
那岐山の麓の渓流にある。岩は壁のように並び、木の枝があたりを覆い、雑草が地面を埋めている。びっしりと青い苔がついて、あたりはほの暗く、滝はわずか二間ばかり上から落ち、幅も二間くらいだ。立ち並ぶ巨岩大石に手をかけて川を上り淵に行ってみると、水際の石は平らで座るのによい。深い淵は藍を流したかのようでその深さは分からない。(水は北から南に流れる)伝説によれば、その昔、大蛇が棲みつき人を悩ませていたから蛇淵の名がある。菩提寺の観覚得業上人(筆者注:法然上人の叔父で最初の師匠)が災いを封じた。この淵の瀧を雄瀧といい(深さは四十尋とも)下の瀧を雌瀧という。下の淵は水の勢いも形も上の淵の半分にも及ばない。
ここに登場する蛇が美女に変化して菅原実兼(道真の子孫)の前に現れた。二人は結ばれ男児をもうけたが、子どもがまだ乳離れもしないうちに女は姿を消してしまった。次のような歌を残して…。日本の伝説29『岡山の伝説』(角川書店)より
恋しくば那岐の谷川棲む身なり変る姿も人目さはなる
実兼は子を連れて那岐谷の蛇淵を訪ねると、水底に大蛇がいた。「この子に姿を見せてやってくれ」と言うと、大蛇は母の姿となって乳の代わりにと五色の玉を子に与え、再び蛇淵に消えて行ったという。
この子は大きくなって三穂太郎となり、京都まで三歩で歩く巨人とされたり、美作菅家党という武士団の祖と見なされたりした。人間でないものとの婚姻により異才の子が生まれるという異類婚姻譚であり、一族のアイデンティティとしての始祖伝承である。
どこからそんな発想が生まれるのだろうか。最近はテレビだけでなくネトフリなどストリーミング配信も増えてきた。次から次へと面白いドラマが登場しているようだが、古くからの伝説は想像以上に豊かだ。自然豊かな那岐谷で物語を楽しんではいかがだろうか。