小豆島のオリーブ園で、ハートの形をしたオリーブの葉を見つけると幸せになれると聞いたから、家族総出で探したことがある。成果はやっと見つけた一枚のみ。記念に栞にしてもらった。
オリーブは、ご存知だろうが、日本の在来種ではない。いったい、いつ誰が伝えたのだろうか。
神戸市中央区多聞通三丁目の湊川神社の境内に「日本最古 湊川神社オリーブ樹」がある。
何であれ、日本最古とか最大とか最長とか、トップならではの価値がある。このオリーブも葉だけ見れば小豆島のと変わらないが、最古というかけがえのない存在意義がある。写真の説明板よりも、近年設置された説明板のほうが勉強になる。読んでみよう。
日本最古 湊川神社オリーブ樹
日本のオリーブの歴史は明治の富国強兵・殖産興業政策に端を発します。当時政府は有用植物栽培研究に乗り出し、外国産植物を積極的に栽培し、輸出の拡大を図りました。
そこで、明治六年、ウィーン万博の事務副総裁・佐野常民が初めて日本にオリーブ樹を持ち帰り、兵庫県勧業場「神戸植物試験場」(現在の県公館附近)に植付けされました。次に明治十一年、パリ万博の事務長・前田正名が持ち帰ったオリーブ樹は内務省三田育種場神戸支園(現在の北野ホテル付近。後に「神戸阿利襪園」となる。)に植付けされました。
当社のこのオリーブ樹は、明治末期、両植物園が共に閉園を迎えた際に当社に移植されたものである、といわれていますが、どちらの園のものかは未だ定かではありません。
佐野常民・前田正名の両人と、当湊川神社初代宮司・折田年秀は大変親交篤い仲でした。折田は珍しい植物を大変好んだ人で、佐野氏がユーカリなど多数の植物を折田宮司に寄贈したこと、前田氏にも様々な木苗の注文をしていたことなどが記録に残っています。両人に縁ある植物園が閉園するにあたって、珍しいオリーブ樹が当社に移植されたことは想像に難くないのです。
同時代のオリーブ樹は、加古川の宝蔵寺以外、他に国内に現存することが確認されていません。樹齢百数十年、日本最古のオリーブ樹のうちのこの一本は、歴史を見守りつつ毎年撓わに実を結び続けているのです。
平成二十七年 湊川神社社務所
旧説明では前田正名が持ち帰った樹とされていたが、現説明では前田に先立って佐野常民が持ち帰ったものかもしれないということだ。佐野はもと佐賀藩士で、日本赤十字社の創立者として知られている。明治6年のウィーン万博当時はジャポニスムの時代で、日本の展示は大変な人気だったらしい。その時、佐野が持ち帰ったオリーブ樹が源流の一つ、ということだ。
前田は鹿児島藩医の家に生まれ、明治政府にあっては産業振興に尽力した人である。明治11年のパリ万博でも日本ブームは続いていた。前田がオリーブ樹を持ち帰ったのはこの時で、同じく源流の一つとされている。
加古川の宝蔵寺のオリーブ樹は、明治19年に神戸阿利襪(おりーぶ)園から移植したものである。とすれば、日本最古のオリーブ樹は、佐野常民によって持ち帰られた可能性のある湊川神社の樹ということになる。宮司の折田年秀は、薩英戦争で活躍したもと鹿児島藩士で、佐野・前田両人と懇意であり、オリーブ樹が同神社に移植された状況証拠はあるという。
小豆島のオリーブは国内で圧倒的なシェアを誇り、香川県の県花、県木にもなっている。こちらは明治41年にアメリカから輸入した苗木の育成に成功したことから始まったものだ。神戸のオリーブ樹が直接現代につながっているわけではない。ただし、日本で初めてオリーブオイルの搾油に成功(明治15年)したのは、「神戸阿利襪園」だということも申し添えておくこととしよう。